ある生物統計専門家がお亡くなりになりました。 言わば私の働く業界の土台を作った方で,私の前職の上司もこの方には頭が上がらない,そんな方でした。そういう世代の差もあり、直接何かを教わったりお世話になったり,ということはほとんどありません。 ただ一度,「企業側の人間」(私)と「規制当局側に近い人間」(その方)という立場でお目にかかったことがありました。とは言っても,私はまだ経験の浅い統計担当で,その方と話すのはもっぱら私の当時の上司 でした。 それは消炎鎮痛剤の臨床試験デザインに関する相談でした。鎮痛剤の有効性は基本主観評価しか方法がありません。当時は既に患者さんによる自己評価が主流になりつつありましたが,当時の私の勤め先のような小さい会社では古い考えも残っていて, 「医師による評価を使う方が臨床担当にとって結果も読めて安心できる」 ,そんな時代でした。 そんな中で冒頭の生物統計専門家との相談を持つことになりました。そこで聞いたのが 「客観的な主観評価を目指す」 といった趣旨のアドバイスでした。当時の私は分かったような分からなかったような。 今にして思えば,その方のおっしゃりたかったことは「透明性」,つまり「試験計画」「CRF」の設計の中で,「どんな痛み」を「どういう表現形」で評価するかを作り込み,患者さんに分かってもらうプロセスを事前に詳らかにすることの重要性だという理解に至りました。 何かの「正しさ」を決めるものは,その「もの」だけでなく,その「もの」に至るプロセス。 実は,これは今の勤め先の海外本社のスタッフも口酸っぱく言ったことと同じなのです。 こういう哲学を語ってくれる方がいなくなるのは実に残念です。 合掌。