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2月, 2020の投稿を表示しています

コロナ狂騒曲の裏で

勤め先の方針で来週いっぱいテレワーク。それに加えて、学校も新学期開始まで休校の運びとなったようです。 まあやり過ぎ感は否めませんが、疫学の観点で分からないことが多いと見れば仕方ない面もあります。 おそらく、これに伴い噴き出している問題は、この決定というより、「そういう決定をされると忽ち困ってしまう自転車操業的な状態」にある職場・団体・国の問題で、仮に今回のような顛末にならなかったとしてもいずれ別の形で露呈するであろう問題なのかも。 ちなみに勤め先でも、会議をテレワーク後に変更する人もちらほら。「対面コミュ」にこだわる人はやっぱりいて、この状況下でも変わらない人は変わらないのだなと思う次第です。

日本化

投資の世界では、「低成長」「インフレ不在」(デフレ?)「硬直した金融市場」といった状況を「日本化」と呼んでいるようです。 https://on.wsj.com/39RAOUI しかし「仕事をするフリをする」「対面でのコミュニケーションが大事と称してポジションパワーで押し切る」「言ったら言いっぱなし、やったらやりっぱなし」…と、いろいろな面で世界は「日本化」しているようにも思う。

100%の神話

何か問題が起こった場合、「それを100%クリアするにはどうするか?」という理想はよいとして、「100%クリアにできるはず」という前提で解決にあたるのはNIPPON思考とも言うべきか?

ゾンビ企画

過去何らかの理由で取りやめになったアクション・プロセスが時を経て復活…。 時折耳にする話ですが、この背景には 「何かやりたい」けどその「何か」が分からず、やることがない 「何らかの理由」を知らない世代が「過去の人と同じ思考」を経て同じことをやる というものがあるような。

インフルから生還

…やっちまいました。 幸い若干の発熱と頭痛だけでそのほか目立った症状がなかったので、療養はそれほど辛いものではありませんでした。 とはいえ、ただでさえ仕事が佳境(それも複数)だったので、復職後はなかなか辛いです。 休んでみて気が付きますが、確かに「安心してやすむことができない」この状況は「安心して子育てできない」「安心して介護できない」等、色々なところに通底する問題だと感じました。 「心理的安全性」というワードを叫ぶ「だけ」では何も始まらない。

組織のあるべき姿

組織って何か目的があってデザインされたはずなので、あるべき姿は「デザインに沿った姿」ですよね。 もちろん当初の前提が変わればデザインも変える必要はあるのでしょう。 ...と段階踏んで考えるのならいいけど、何か爪痕残しとけとかいうノリだと嫌だな。