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完全人依存

日本人は「職人気質」とか「プロフェッショナル」というワードに弱い。 でもビジネスではそれは「人依存」という品質リスクの原因でもあります。なので品質管理上は「人依存」は極力避ける必要がある。 こういう話をすると「そんなにいうなら経験を共有してよ」とやっぱり「現場任せ」になるんだけど、「その仕組みを作るのはあんた等の仕事でしょ」とも思う。 「人依存」を避ける理由は、品質管理が「平均的にそれなりの品質を」産み出すことを目標にする点にありますが、日本人の「品質管理」とは「今のエラーフリー」が目標。もちろんそれらはすべて「現場任せ」。 まあこれもそれも、「お金がない」「時間がない」からなんでしょうけど。 安い国ニッポン。

待つのも仕事だが待たせない工夫をするのも仕事

例えば家を建てるには 土台を作る 土台ができるのを待って住宅部を作る という手順は崩しにくい(これも3Dプリンターが主要な方法になれば変わるかも)と思います。つまり「待つのが仕事」で、これはスケジュール管理が重要なところ。 しかし並行して進められる仕事は「待たない」「待たせない」のが重要。そのような仕事で「待つ」のは無駄な時間、デッドスペースです。 しかし「作業者」にとっては「無駄な時間」も「待たせない工夫」もどちらでもよい問題なのかも。

熱を下げても風邪は治らない

…まあ当たり前の話なのですが、風邪を治すには「よく寝て水分取って休む」以外の方法はないんですよね。 つまり「原因となっているものを解消」する、それが直接には難しいなら「原因となっているものを解消に向かわせる努力をする」より解決の方法はない。 まあ、「それでも休めないあなたへ」などという風邪薬のCMがまだ流れているくらいなので、その辺は「しょうがないやん」の一言で終わりなんでしょうね。

社畜バブル崩壊

一番の日本の「土台」が崩れかけている。 一部コンビニの深夜営業見直しはかなり大きな経営方針の転換だと思いますが、この現象を「コンビニ業界の終わりの始まり」的に矮小化したがる人たちは多いでしょうね。

社外からの後援者への面白いコメント

「会議をよりよくする」的な講演に関連して、講演者への質問やコメント。 「声の大きい奴が勝つ」 「時間を守らない人がいる」 「難しいことを自らやる人がいない」 おいおい。そんなの社外の人に言うことじゃないだろ。 回答も興味深いものが多かったが、あまりに○○な質問・コメントもあり興味深い。 私が質問するなら: 「えらい人の前で何も言えないんですけど」 「色々有用なご説明頂いてなんですけど明日からはそれとは関係なくこれまで通りやりますけど何か?」

行動経済学と「いくら言っても話を聞かない人たち」

最近 「行動経済学の使い方」 という本を読んでいますがなかなか面白い。 色々詳細な事例・考え方が簡略に述べられているのですが、何より「伝統的経済学」と「行動経済学」の対比が面白い。 伝統経済学では、人々は十分な計算能力を有し、常に合理的な判断を下すと仮定 行動経済学では、人々は必ずしも計算能力が高い訳ではなく、また合理的な判断というより種々の心理的バイアスの下での判断を下す といった趣旨の説明が腹に落ちます。 なるほど。 例えば、会議で「あるトピックを1名7~8分×5人で話してね、あとの話題もあるから」という説明をしても平気で15分くらい話して後のトピックをキャンセルさせるというのも、「行動経済学」的には「自分のトピックが一番重要」という心理的バイアスによる決定、と見れば納得いきます(いかないけど)。 しかもそのロングスピーカーが上級管理職で、その話の結論が「うまい英語のプレゼンとは」的だったのはもはやブラックジョーク。うまい云々の以前に時間を守ってねと。

週休3日 vs 4.5時間労働

(有給休暇を含めると)3週連続で月曜日が休みになって週休三日。 たしかに火曜日はすっきりしてメンタル的によい状態でしたね。 かたや、時に言われる「1日労働時間は8時間は長く4.5時間くらいが適当」という伝説(?)。4.5時間労働の実験は難しそう。(週休三日も簡単ではないけど) 最近は30分×3回をメール/社内チャットの確認時間にしているので、残りは7.75-1.5=6.25時間。ということは1.75時間=1時間45分を「アイドリング」にしなければならない。 いずれにしても「週休二日制」も「1日8時間労働」も特段根拠のある数字でないことは確かで、そこをいじらずに「働き方改革」など不可能ではあるよね。

9:00から会議

…まあ必要なら業務時間内いつでもよいのですが、朝は子供の世話なんかで忙しい人もいるので、避けた方がよいと思うんですよね。それでも朝一会議を設定する人は絶えません。これは多様性の範疇なのかもしれません。 しかし、こちらの話は聞き流して自分の関心事をひたすら話すだけって組織の私物化だよね。 しかも会議中朝飯食いながらって…。

ネコふんじゃった

それしかピアノで演奏できない人の演奏会ってあったらすごい。 そしてそれ「しか」参加したことのない人は、やっぱりピアノで「ネコふんじゃった」しか弾かないよねそりゃ。 それを「ピアノを高級品にすれば」とか「いや音響を良く」しても、「ネコふんじゃった演奏会」にしかならないわけで。 いや、それで満足な人「だけ」で済ましてくれるならよいけど、そこに「ショパン聞きたい」「エルトン・ジョンの曲も」みたいな人が来たら、そりゃ「ネコふんじゃった」ばかり聞かされてよい気分にはならないよね。

スマートな働き方を阻むもの

それは「そういう働き方と無縁な人・部署・団体」ですよね。 結局仕事は「チームで協働」とか「顧客主義」とか、自分・自分の部署だけで成立することはほとんどない訳で。そこで付き合う相手が「効率的に働く」「重要なポイントに絞って課題解決」といったことに価値を感じない場合、これはどうしようもない状況です。 「働き方改革」を声高に主張しても、かなりの割合の人が「そんなことしてたら仕事回んねーじゃねーかバーカ」と心の中で思う訳で。

「…でよい」はやめましょう

確かに言われてよい気分になることはないね。 これ、私が学生時代に家庭教師のバイトをしていたとき、その派遣先?の親御さんに注意されたことでして。当時は聞き流していたけど、今になって身にしみる。 特に上に立つ者が言う言葉ではないですね。親が子に、上司が部下に言うのは特にまずい。気をつけないと。

みんな忙しいから

…一見まともな状況判断に見えるけど、よく考えるとこれ個人の技量に完全に依存しているよね。 「仕事の量は少ないけど経験・技術が貧弱な」場合も「仕事の量が多くてどうにもならない」場合もある。つまりこれは「経験・技術が貧弱なふり」をするのが得になる可能性を示唆している。 こういうと「いや人を巻き込め」という話が出るんだけど、いや

話が印象に残らない場合の特徴

長い キラーフレーズ連発(みんな頑張ろう、変化しなきゃ、イノベーション大事、etc) 多くのことを言おうとし過ぎて話題を詰め込む そんなのニュースレターで書くとか、ほかの方法あるのにね。しかしそう言うと「いや大事なことは口頭で」みたいな反論が。 「何が大事か?」を考えないことが問題でしょ?

問題解決の第一歩

そりゃ「問題を正しく理解する」ことですよね。 この「正しく」が実は難しく、「問題文を言語的に正しく」と思う人もいれば、「解決すべき問題そのものが何かを正確に知る」と思う人もいる。 でもまあ、あまり問題解決に乗り気でなければ必然的に前者一択なんでしょうね。

日ごろは安全運転なのに

いや関係ないです。それでも「ちょっと無理すれば」いとも簡単に自動車事故は起きる。何か急ぎの用があってつい焦って…というのは多くの交通事故で見られることでしょう。 しかし、そんな何の情報も与えないコメントを知人に求めるマスコミとはいったい。

いとしのレイワ

元号の変わる大型連休は仕事の関係でこれまでになくストレスフルなものになっています。 まあ元号が変わっても仕事はなくならないし人も変わらないので、しばらくは何事もなく過ごしていくことになるとは思いますが。 平成は 高校2年の時に始まりましたね。その年の4月からは高校3年、進路のことも具体化しつつあった時期…だったかなぁ。一応望む形の進路にはなり、数学を志すことになりました。決して裕福な家庭ではなかったけど、今思えば色々と考えることのあった一番濃密な時期でした。 その後生物統計という思わぬ職に就くことになりました。その後外資系企業への転職も経験して23年。 この進路も、今にして思えば結果的にうまく行きました。当時は色々辛い思いもしていたのですが。そして、その「辛い思い」の原因はそのまま内資系企業の没落の兆候でもあると今は思います。 そうこうしている間に結婚して子供もできました。これも偶然、というか奇跡ですね。これは自分のありようとか価値観を180度変えました。 令和が始まる今は47歳。そろそろ世間からはお払い箱になってもおかしくない年齢です。悲観しても無駄だけど、のほほんとはしていられない時代にはなりそうです。

年度末

諸般の事情で、この年度末は勤め先を退職、あるいは部署移動される方がかなり目立ちました。 今回は特に私が(勝手に)気が合いそうな人が多く去っていった感が強い。気のせい?

頭で考えなくてもよい野球

世界の王に ここまで 言わせるイチロー。あまりに偉大過ぎる選手です。 準備の量、思考の深さ、ちょっと例える言葉が分かりません。そんなイチローの記者会見の記事で気になった部分が こちら 。 「頭を使わなくてもできてしまう野球」とは何をイメージしているのでしょう?セイバーメトリクスが進み過ぎて、自由な判断よりデータ重視ということなのか?あるいは「投げる・走る・打つ」がパワー頼みになっているということ? イチローのような「打って守って走れる選手」は理想像だと思いますが、MLBは「そんな選手がいなくても勝てる」ことを重視しているのかも。しかしこれはMLBに限らない、ビジネスの場でもよく見る光景だと思います。 いずれにしてもお疲れさまでした。

一体皆何が楽しいのか?

こんなこと言っているから話が合わないんだな~。 本日上司と話していて、別の会議で話がかみ合わなかったという話題があり。 しかしよく考えてみれば、最近「誰とも」話が合わない感がたまらないのです。まあそれが多様性というやつで、「話の合うところで折り合いつけて人付き合い」というのはごもっともなのだけど、話が合う瞬間を経験する機会がとにかく減った。180度見解が合わないというのではなく、目線がねじれているというか何というか。 「話が平行線」という表現は時折聞きますが、「話がねじれの位置」ってないね。

言わぬが花というけれど

程度の問題とは思うけど、「何でも思ったことを言うのは野暮」というのはちょっと危うい発想だと思うよね。 わからないことはわからないという方がよいことも多いし、辛い状況にあればそのことを伝えなければならないこともある。その匙加減をうまくやるのが大人、というのは、マナーを持ち出して他人をディスるのと近い思想にも見える。 3歳の子供にうるさく言わないのはなぜか?それは相手が3歳だからです。「言いたいことをぐっと飲みこむ」のは、不要な我慢の結果か、さもなくば相手を幼いと思っているか。いずれにしても、相手次第ではお互い今一つ幸せになれない行動だと思います。

お客様

日本人にとってはキラーフレーズだなぁ。 「お客様は神様」のフレーズが独り歩きしているので、どんな無理も聞かないとだめみたいな。これを英語で「Customer」とか言っても一緒で、日本人がこの言葉を発すると「だから何でも言うこと聞いてね」という暗黙の了解が生じる。果てはモンスターまで生まれる始末。 一部の企業では悪質な客とビジネスを避けるケースも出てきているようですね。程度の問題はあるにせよ、「自分のリクエストが断られるかもしれない」という緊張感と「何が何でも依頼は果たす」というプライドがあってのビジネスでしょう。 ちなみに「お客様は神様」の由来とされているHARUO MINAMI氏は、「神様の前で歌うくらいの緊張感で舞台に立つ」という意図で、そのための準備や覚悟のことを込めたという話を聞きました。本当かどうか知らんけど。

2週間休むと

流石に飽きますね。 やっぱり「やりたいことをやり切る」ことは重要で、要は日ごろのストレスは「やりたいことができない」ことの蓄積ではないかと思います。 「工場の生産ラインで立ってする仕事ではない」というのは全くの認識違いで、現代の仕事はややもすると「細分化されたタスク」という名の成果物を日々営々と生産する工場さながらといった感じで、そりゃストレスもたまりますよ。